アダムとイブの神話をどう読み解くか…
ロダン三世の考察がつづきますよ〜
ノリノリだね、ロダン
前回のまとめ
アダムとイブは善悪の知恵の実を食べ、動物から人間になりました。
ただしそれは、神との約束をやぶってしまったこと。
楽園で最大の罪です。
前回の話:ボクらが見るべき「夢」の本質(4)【アダムとイブの罪】
り
茂みに隠れているアダムに、神様はこう尋ねます
わー!神様に見つかった!
茂みに隠れる絵
神様
アダムよ、いったい誰が「君が裸だ」ということを知らせたんだ
君は私が食べてはいけないと命じた
あの木の実を食べたのか?
アダムはこう答えるんです
アダム
あなたが私のそばにお使いになったあの女、イブが木から実を取ってきてくれました
だから私は食べたのです。
ここでイブのせいにするわけですよ、アダムは。
アダム、ひきょーやんか!
すると神はイブにいいます。
イブも「他人のせい」かい!
イ神はそれを聞いて、蛇に罰を与えます
自分自身を理解したからこそ、愛することや夢みること、永遠を求める気持ち、そういった果てしない渇望がどんどん湧き上がってくる。
そんな瞬間だったと思います。
りんごを食べた瞬間に生まれた「宗教性」
この瞬間は、前に話したギョベクリテペ神殿の共同幻想が生まれたことにも通じると思うんです。
善悪の知恵の実を食べて心の目が開いた人間は、自然界には存在しない、目に見えないものが見えるようになっていく。つまりこの話は、人間が「虚構のもの」を生み出すことになっていった、ということを指しているんですよね。
虚構、つまり共同幻想から、神や神話が生まれ、さらに文明が花開きます。
そして共同幻想からは芸術も生まれ、その一方で法や社会も生まれます。
その社会はやがて国家という新たな共同幻想になっていき、貨幣のしくみや資本主義社会も生まれ、そこからまた新たな夢や愛が生まれていく…。
いまボクたちが暮らしているこの世界に至るまでに、こういった連鎖が続いて来たんですよね。
だから、この世界が始まった源(みなもと)とは、善悪の実を食べたとき、つまり目に見えないものが見えた瞬間だった、と考えられるのではないでしょうか。
人間て「虚構」の世界に住んでいるのねん…
それにしてもこのギョベクリテペの神殿にしろ、善悪の知恵の実にしろ、宗教性なるもののはじまりの話ですけれど、どうもこの「宗教」という言葉。
日本語としては明治時代に作られたらしいんですけど、何かこう、本質的な宗教のことをうまく言いきれていない言葉になってませんかね。このことが今の社会に対して誤解を生んでいて、とても大事なものを掴みにくくしてしまってる気がするんですよね。
人間は宗教性の生き物
思想家の吉本隆明は、「宗教というのは二つに分けられる」と言いました。
ひとつは教団としての宗教。キリスト教、仏教、イスラム教、ヒンズー教などです。「宗教」と聞くと、この教団としての宗教がまず頭にうかびますよね。
もうひとつは、人間の精神活動が形を変えていき、倫理や道徳、法や国家、そして日常的な生活社会になった宗教です。
つまり、宗教とは教団を指すだけの言葉ではないんですよ。
一般的な倫理観や道徳や国家、日常的な集団とか風習とか世界観、実はこれらすべて宗教なんですよね。
現実世界に在るものを超えた「超認知」によって見えるもの、そして「在る」として捉えられるもの、それらはすべて宗教性であって、ボク達はそこに生きている。
というよりもそこにしか生きることができないのが人間です。
動物的世界ではない、その超越した認知によって出来上がった
ボクらが生きている、この当たり前(だと感じている)世界こそが、これはもう宗教性なんですよね。
「宗教」という言葉を定義しなおそう
ちなみに、よく「政教分離(せいきょうぶんり)」という言い方がありますね。
政治と宗教を切り離す、または切り離すべきという考え方です。
特定の教団が社会を取り仕切ることは もちろん良くないんですが、根本的にこの政教分離という言葉自体が間違えているんではないかな、と思います。
だってそもそも国家とか政党自体が宗教性に基づくものですからね。そこから宗教は外せないわけですよ。
だから 「宗教」という言葉は、もう一度作り直すべきなんじゃないかなと思うんです。
中島岳志と島薗進の対談本にもそういった考え方が書いてありましたね。
「宗教」なるものの理念や価値観をあらわす言葉自体を新しく作り直す。
ボクたちにとって大事なものを理解するためにも、新しく単語を作り直すことはすごく必要なことだと思います。
エロティシズムの誕生
それで…ごめんなさい。アダムとイブの神話の続きに戻りますね。
話、脱線してるで!
善悪の知恵の実を食べた二人、目が開きました。
そして二人がまず何をしたかというと
裸を恥ずかしがったんです。これがすごく可愛い。
イチジクの葉っぱを綴り合わせて、お股のところを隠したわけですよね。
これはこの神話のとても象徴的な動作であり、面白くて凄いところなんです。
作家の澁澤龍彦は「エロティシズム」という本に『目が開いた」とは「裸を知った」ことなんだ』と書いています。
アダムとイブは、神様になってしまう「知恵の実」という凄いものを食べたのに、まず何より最初に裸を恥ずかしがります。2人はエロティシズムのイナズマに貫かれちゃうわけです。
澁澤龍彦はこのことを「イチジクの葉で隠したことが、人間の服装の始まりで、これこそ人類最初の文化ではないか。芸術の始まりはまさににそこにある」と言っています。
あらゆる動物や生命体の中で、初めて人間にエロティシズムという感情が芽生えた瞬間です。
動物の性行為には特にエロティシズムはなく、本能として子孫を残すためのことでしかありません。だからエロティシズムのための性行為はまさに人間だけの大きな特徴なんですよね。
澁澤龍彦はこうも書いています。
「人間のみに許された華麗なる夢の世界であり、死に至るまで高められた究極の生であり、それは永遠なんだ」
「エロティシズムこそが、崇高な芸術や宗教そして狂気なるものの根底に横たわるものだ」
と解説しています。渋澤節ですね。らしい言い方です。
初めての文化&芸術が「パンツ」だった、っていいねー
そこ、とっても本質的なんだよ
これが人類最大の罪
善悪の知恵の実を食べたアダムとイブに、エロティシズムがめばえて、動物から人間になりました。でもそれは、楽園では最大の罪だったんです。
だって神様からこう言われてましたよね。
「アダムよ、このエデンの園にある全ての木から好きなように果実を取って食べるがよい。
ただし、善悪の知恵の樹の果実は決して食べてはならない。
食べると必ず死ぬ」
神様との約束を破る、これは最大の罪だったわけです。
なので、神は木の茂みに隠れる二人を見つけて、罰を与えるんです。
次回、いよいよ神様から罰がくだされます!
どーなっちゃうの!?
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