
アダムとイブの話の前に、
そもそも神話とはなんだ?
って話をします

神様たちの話でしょ。違うの?
前回の話:ボクらが見るべき「夢」の本質(1)【ギョベクリ・テペとアダムとイブ】
神話って、どう読み解けばいいの?
出典: Wikipedia 禁断の果実
ボクはキリスト教徒ではないし、特定の宗教の信者でもないんですが、ちょっと「宗教」と言葉にしただけで、「こいつ何か勧誘する気なのか?」とか思われるかもしれないんですけど。。
そういうことは全くないんで、ご安心ください。

お布施はチッチまで!
でも、神話とか旧約聖書、宗教の話となると、どうしても今の日本人の日常生活ではなかなか馴染みがありませんよね。
例えば、世界の創造の話や神話の世界では神様が出てきます。よくあるイメージでいえば、白髪で髭が生えてるおじいさん。杖を持ってるような神様ですよ。

でもあんなもん、いるわけないですよね!まあ、いませんよ、あんなものは。
そこに関してボクは誰よりも信じてないかもしれません。

(えっ…いないの……)
ともすれば、神話=迷信みたいに取られがちです。
でも、神話というのは「文学」として読み解くべきと考えるとわかりやすいです。
神話なるものが発展していくと、芸術・哲学・科学に繋がっていくんですよ。
神話は、ヒトがたどってきた精神の歴史
出典:Wikipedia アダムの創造
神話をひと言で言うならば、人類の精神史を物語にしたもの。
そこには、種族の歴史とか、土地の由来・ルーツ・習慣・掟などがふくまれています。
ボクたちがなぜ意味を求めて生きていくのか、その理由が神話を通じて語られているんです。
「存在する理由」とか「存在する意味」が、ちょっと夢みたいな、辻褄の合わないような“たとえ話“の中に込められている。
この“たとえ話“に内在化された「生きる意味」を子どもの頃に聞かされます。
自分たちの民族や家にまつわる物語を聞いて、受け継いで、ボクたちはなぜ生きていくのか、何のために生きるのかということをインストールするんですよね。
「本能のスイッチ」の代わりに
ではなぜ、わざわざ神話を使って、生きる意味をインストールする必要があるんでしょうか。
それは、人間は他の動物とは違って、本能のスイッチが入らないからです。
動物は、犬でも猫でも自動的に本能のスイッチが入るので、生まれた瞬間から何をするべきなのかはその本能に従えばいいだけです。

でも、人間は本能のスイッチが無い。
だからその代わりに神話や歌や踊りを通じて「物語」を伝承され、自分が生きる意味を知るのです。
いわゆる魂とか心とか呼ばれるものを代々と何千年も引き継ぐことで、生きていくことができる。
つまり、人間が人間として形作られるために大事なものが神話なんです。

日本の物語、民間伝承といえばこの『遠野物語』。
カッパ、神隠しなど、岩手県遠野に伝わる話を収録。くり返し伝えられてきた「日本人の死生観・神への想い」がギュギュっとつまってるポ!
まさにギョべクリ・テペの遺跡が作られた頃に、神話のはじまり、つまり物語の初源となる部分が出来上がったんではないか、ってボクは考えてるんですよ。
なので繰り返しますが、神話は、脈々と続く人類の深層心理の核、欲望の初源の核です。集合無意識を伝達し継承させる物語です。
物語から生きることの意味を知り、やっと人間が人間として完成し、またそれを後の世に引き継がせて人間の歴史が続いていく…。神話はそういった働きをするものなんだと思うんですよね。
出典:Wikipedia ヴィーナスの誕生
人間の精神史 理想の経緯
ふつう歴史の勉強というと、徳川家康がどうしたとか坂本竜馬がどうしたとかを学ぶじゃないですか。もちろんそれも大事だと思うんですけど、ボクたちがほんとうに学ぶべき歴史というのは、こっちの神話的な精神史だと思うんですよ。

共同幻想が見てきた「夢」の歴史のほうですね…
人間がいかにして人間なるものを生きてきたか、その精神史を学問に仕立てて教わること。それこそが歴史の勉強なのでは?とボクは思うんですね。
人間の内面精神の歴史を学ぶ事で、人間の理解がより深まる。それは世界の幸福や平和にも繋がる。その意味から、神話=精神史には大事な鍵がある、と考えます。

さあ、神話のとらえ方、なんとなくイメージできたかな。
次回いよいよアダムとイブの話に突入だよ!

ほんま話長いで、ロダン。。





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