
遊動から定住へ変わった人類。
…じつはデメリットだらけです!!

まじで?
前回の話:ボクらはなぜ幸せになれない?【理由は1万年前の大革命にある】その2
定住デメリットその①:めんどうな農耕、めんどうな日課

そもそも農耕というのは非常に難しい。まず何より、天候に大きく左右されます。
農作物を収穫するまで、例えば1年とか長い時間がかかるし、ちゃんと実らせるためにはそれなりの経験や知識、技術も必要になってきますよね。そして規模が大きくなれば耕すための道具も必要になってきます。
それから農耕が産みだしてしまった、人類にとっての大きな悪があります。それは毎日、田畑の世話をしなくてはならないということです 。つまり「日課」というものが必要になる 。日課とは、毎日同じ作業を繰り返すことです。
それまで遊動民だった人類は、毎日違うことをして遊んでいました。それが一変して、同じ作業を繰り返す日々が農耕とともに始まってしまう。ということは、農耕の始まりによって人類は労働の奴隷になってしまったんですね。
これはとても大きな出来事です、人類にとって。 現代も労働の奴隷になっていることでボクたちは日々悩まされていますからね。
定住デメリットその②:貧富の差がひろがって、王と奴隷になる

農地というものは、規模が大きくなっていくと用水路が必要になってきます。水の「管理」です。そしてのちに水を管理できる力を持った者が民衆を統一するようになります。 つまり、王様のような権力者や支配者を誕生させるキッカケになったと言われています。
この社会的な問題に関しても色々とあります。
まず定住というのはその地にとどまるわけなので、土地や食料の「所有」が生まれます。
さらにこの「所有」は、たくさんの量を持っている人と少ない量しか持っていない人を作ってしまいます。 つまり貧富の差、富める者と貧しい者を作ってしまうということです。人類はこの定住革命によって格差社会の階層化、ヒエラルキーを作ってしまったんですよね。
さらにその格差が進むと奴隷制度のようなところまでいってしまいます。 これも本当に深刻な問題で、今なお残る問題です。

ふ、負のスパイラル
ちなみに、遊動生活をしていた頃の人類は、食料を平等に分配していたそうです。
もちろんその時も、上手にたくさんの食料を採ってくる元気な遊動民がいたはずですが、個人に対する過度な称賛は避けられるようなシステムになっていたそうです。たとえば、ひとりが大きな獲物を取ってきたとしても、みんながいるところにそっと置いておき、「獲物はみんなのもの」とする価値観があったと言われています。

チッチはいつも独り占め…
定住デメリットその③:ケンカといじめが呪いになる


この頃のカドカワはエグいよね
定住民のヒエラルキーから繋がってもいますが、「呪い」の発生があります。
定住社会は階層化されているので富める者と貧しい者がいる。ということは争いごとが起きやすいわけですよね。盗みを働く者が出てきたり、「それは僕のものだ」「いや違う、俺のものだ」のような、言い争いが絶えなくなっていきます。
遊動生活のころも、もちろん争いごとはあったと思うんですけど、その場から立ち去ってしまえばそのまま忘れてしまうわけですよ。そして半年や一年経ったころ、ケンカした集団とすれ違ったとしても争いごとを忘れてしまい、「あっちの方に良いものがあったよ」とか「あっちの山が綺麗だったよ」とか、情報交換をしていたんじゃないかと想像します。
その反面、定住社会は同じ場所にずっととどまり続けて、今の家族が次の家族に土地を受けわたし、先祖代々受け継いでいきますよね。
ということは同時に、争いごとも受け継いでいくんです。生まれた恨みや妬みとかそういったものが永遠に留まり、深まっていき、いつしか呪いと呼ばれる概念になるわけです。いやぁ、これは怖いですよね。
未開の古代社会では、呪いが大きく大きく膨れ上がっていきます。病気や厄害が起きると「呪いのために起きたんじゃないか」と信じられるようになった。
このこと、現代でも同じですよね。ぼくは田舎モノで、小さいころ周りからいろいろ話を聞かされました。あの家の子と遊んじゃいけないよ、とか、あの家の爺さんとこっちの家の婆さんは何代にもわたって喧嘩してる、とかね。村落共同体では根深く残っている深刻な問題なんだとおもいます。
学校のいじめも仕組みが似ています。同じ学校、同じクラスに定住させてしまうからいじめがなくならないわけで、好きな学校を自由に選択して、日々違う所に行って、その場その場で新しいことを学んでいくような自由度があれば、いじめなんかもかなり無くなると思うんですけどね。
定住デメリットその④:ルールができて自由がうばわれる
さまざまな問題が起こってくるようになると、次に生まれるのがルール、法律の発明です。安定した社会を築くためにはルールがつくられるようになります。
ただし、ルールや法が生まれて多少の安定感は生まれても、それと引き換えに制約や義務も生まれるわけです。「これをしてはいけない」などのタブーも生まれるわけですよね。
さらに、ルールを取り仕切る側の支配者階級によって暴力が独占されてしまう。これも非常に深刻な問題です。警察権力とか軍隊もその類ですよね。

それまでの時代は、力の強い者と弱い者の差はありますが、暴力は均等に与えられていたものでした(それの良し悪しは置いておくとしても)。
でも、ルールや法が生まれたことによって階級が生まれ、支配者が暴力を取り仕切ってしまうと、暴力はその支配者だけしか使えない特権になってしまうわけです。これは本当に恐ろしいことだと思うんですよ。
定住革命によってできた集落、それが大規模化していくと集団生活を維持するためにルールが生まれる。遊動民のころは、自由で美しい地上の楽園にいたはずなのに、欲望を抑えつけられ、自由が拘束されることになってしまいました。
所有が生まれ、貧富の差が生まれ、階級が生まれ、呪いが生まれ、それらを抑えるためにルールや法が生まれる。そして権力者が暴力を支配する定住社会。
これがさらに規模が大きくなると、やがて国家と呼ばれるものが生まれるんですね。

国家の成立、これはまた別の話でじっくりと…!
定住デメリットその⑤:国が生まれる。国と国の戦争も生まれる。
国家が生まれました。国家も定住社会に基づいている、つまり所有している土地などが関係するので、国家と国家の間にも貧富の差がひらいてきます。
そうすると、国家同士の争いが始まるわけです。これが戦争の始まりです。
人類は定住革命の果てに、とうとう戦争というものを生み出してしまうわけです。近代において戦争はそれ自体が絶対的な悪ですよね。
戦争というのも一言ではなかなか言えない。これもまた戦争を概念として意味づけるのがなかなか難しい部分もあるんですけど、そのまま言ってしまうと、戦争というのは大規模な定住社会の、「国家」対「国家」の争いと考えていいと思うんです。

では戦争の罪、定住社会論に基づいた悪というものを考えてみましょう。
戦争の罪① 仲間“のような”集団が、仲間“のような”集団と戦う
国家とは、身近ではない人々、絆を持った仲間ではない人々を仲間とみなす集団なんです。矛盾を抱えた集団ですね。
◎◎国の人、たとえば日本人、アメリカ人、中国人と呼ばれてしまうと、それが一つの仲間たちとみなされるわけです。何億人もの、一度も会ったこともがない、どんな人なのかも知らない人たちのことを「仲間」とみなす集団です。
本来、争いごとが生まれるときは、身近な人に何かが起こって戦いに巻き込まれた場合、その人を思う家族や友人が、その人のために一緒に戦ったり一緒に逃げたりします。要するに、戦うための動機は、その人との絆、人間関係によって決まるのが本来の戦いの姿です。
…なんだけど。
戦争というのは、好むも好まざるも関係なく、全く見ず知らずの人の為に戦い、そして見ず知らずの人に暴力を振るう行為なんですよね。
戦争の罪② “よく知らない”人によって戦いが始められる
もうひとつ大事な点。戦争は、そのほとんどが時の権力者によって始まります。でも人々は、権力者の顔と名前くらいは分かっていても、あまりよく知らない。実際に仲間でもなければ知り合いでもない人ですよ。そんな権力者の合図によって国家と国家の戦争が始まるわけです。
つまり戦争という行為が残酷なのは、見ず知らずの者によって始まり、見ず知らずの者同士が殺し合うところなんです。

人間不信…
人類は、定住革命の果てに、こんなに残酷で、最終段階、究極の悲劇である戦争というものまでも生みだしてしまったわけですよね。
定住デメリットその⑥:死に気づいてしまう

まだまだあります、定住社会のデメリット。「死」の問題です。
そもそも動物は死を知っているのか、という疑問もあります。いや、動物は知らないはずなんです。本能として生命維持のために死を回避することはあると思うんですけど、犬や猫が「自分がいつか死ぬ」というように認識できてはいないはずなんです。
もちろん、身近にいた仲間がいなくなった、消えてしまったことには気づくと思うんですが、「あいつが死んでしまったんだ」と知ることはないと思うんですね。
同じように遊動民だった頃の人類も死についてそんなに考えなかったと思うんです。考える機会は少なかった。なぜなら遊動民たちは仲間の死体も置いていったわけです。遊動するんだから、死体そのものを見つめることがないし、死について深く考えることが少ない。死とはどういうことなのか、死の概念をまだよくわかっていなかったと思います。
定住社会というのは、死体をそこに留まり続けさせます。ということは、死体と見つめ合い、死を考える。そして死者を悼むために墓を作りはじめて、墓=死者とともに生きることを始めるわけです。
定住デメリットその⑦:死のもう一段階上の恐怖を知ってしまう

さらにもうひとつ。死のもう一段階上の恐怖があります。恐怖というか、死の概念があると思います。
人間は死ぬことを知り、死ぬことの恐怖を知った。でもそれはあくまでも、生き物としての寿命の終わりで、生命を維持する活動の停止という意味の「死」です。
それより一段上の概念、それは何かと言うと「虚無」です。これは生命が寿命で終わるということではなく、自分という存在がなくなり消えてしまうということへの恐怖です。死自体の恐怖ですね。
これは動物は知り得ることがなかっただろうし、宇宙広しと言えど、あらゆる存在の中でこの恐怖を知ってしまったのは人間だけなんじゃないのかな、とボクは思うんですよね。

上の絵はまさに、虚無に気づいてしまった瞬間を描いてると思うッポ。画家、ムンクの「叫び」という作品。有名ッポね。

定住民のさらなる切実な問題…つづきは次ページへ!



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